TrueVoice Vol.06

  • インタビュー本波幸一[前編]それからイトウの旅がはじまった

    2019.4.26|岩手県久慈市にて

  • ほんなみ・こういち
    1959 年、岩手県久慈市出身。本流大物釣士。バリバスフィールドテスター。
    漁師の父を持ち、幼少時から近所の川や海で釣りに没頭する。サラリーマン時代にルアーフィッシングに出会い、以来長年に渡ってイトウ、アメマス、サクラマスを中心とする大物トラウトとの出会いを求め、国内外の河川に遠征を続ける。

▲国道281号線沿いを流れる久慈川の岸にも時季外れの雪が積もった

前編では本波幸一の幼少期の魚との出会いから次第に釣りの幅が広がっていくまでを、各地でのエピソードを交えて語ってもらった。国鉄への就職を経て、本波の釣りのフィールドは各地へと広がり、〈大物釣り〉のスタイルは次第に確立していく。後編では一転して他の釣種やタックルへの考え方、そして北海道や東北の自然史・文化史への傾倒など、本波ならではの釣りへのアプローチについて語ってもらった。

〈大物釣士〉の小渓流の釣り

自他共に認める〈大物釣士〉本波幸一であるが、地元の小河川を中心に渓流の釣りにも精通している。意外なことに感じられるが、これまで発表された雑誌記事には、そうした〈小物釣り〉の楽しさについて書かれたものも多い。

「5月までサクラマスを追いかけて、6月から8月にはこのあたりで渓流をやります。9月になると北海道に目が行って、10月はイトウに行く。こう分けてるんです。
ヤマメはヤマメで面白いんですよ。渓流用のライトタックルに、4、5cmのちっちゃいミノー、4ポンドか5ポンドのライン。ヤマメのヒットの感触は鋭角的です。タックルを落として35cmくらいのヤマメを釣り上げるのは、ヘビータックルでイトウを釣るのと同じですよ。魚を掛けた瞬間のエキサイティングさだって同じだと思いますね。
フィールドや魚種を問わずやっていると参考になりますからね。引き出しをいくら持っているかって大事なんですよ。友人に鮎のトーナメンターがいるんですが、彼は鮎もサクラも渓流も何でもやるんですよ。鮎をやっているときにおとりにサクラマスが掛かって、仕掛けを全部持っていかれたことがあるって(笑)。次の年にそこに行けばサクラマスが付いてるんですよ。
自分は最初にエサ釣りから入ったけど、エサの流し方とルアーの流し方は同じですよね。エサを流して食ってくる層にルアーを流せばいいんです。〈食い波〉っていうのはエサでもルアーでも同じで、そこを流せるか流せないか。いろんな釣りをやっていると、魚の性質がわかってきて、付き場も見えてくるんです」

道具について

  • 幼少期に釣りを覚えた当時から道具の多くを手作りしていたことは前編で語ってもらったとおりだが、専門に特化された道具が数多くメーカーからリリースされるようになった現在でも、本波はロッドもルアーも自ら製作し、フックもルアーに合わせて自分で巻く。そんな本波に、道具の意義について聞いてみた。

    「サクラマスでもアメマスでもバレるときがけっこうあって、バレないようにするにはシングルフックのアイの長さが絡んできます。長さは何センチがいいかっていうのを試行錯誤しながら自分でフックを巻きます。ロッドは自分の体力に合っていて、なおかつ思い描いている獲物が来たときに対応できる強さがほしい。かと言ってただガチガチのロッドではだめで、トップにはしなやかさ、バットには魚の走りを止められる強さが必要です。大きいプールみたいな管理釣場だったら柔らかい竿でもいいんだけど、自然のフィールドでは自分の立ち位置から勝負をかけなきゃいけない。それにはロッドの強さ、装着するリールのサイズ、ラインの強度、それにフックですよね。それらが全部絡んでくる。既製品は風邪薬と同じで万人向けの商品が多いから、自分で〈こうした方がいいんじゃないか〉〈ここを長くした方がいいんじゃないか〉って思いながら作ってるんです」

  • ▲本波がモデルを務めた〈VARIVAS〉スーパートラウトアドバンスの広告

本波の釣りのスタイルを語る上で、使用するラインについて触れないわけにはいかないだろう。PEラインが全盛となった現在でもあらゆる釣りでナイロン製のラインを使う真意について語ってくれた。

「当時は国内外のいろんなラインを使ってたんだけど、どれもブチブチ切れるんですよ。でも他に選択肢がなかった。そのとき〈VARIVAS〉ですよ。〈スーパーソフト〉が出て、すぐに移行しました。そうしたら、「自然倶楽部」編集部からモーリスがテスターを探してるみたいだって紹介してもらった。〈これがだめ、あれがだめ、最終的に今は〈VARIVAS〉を使ってるんだ〉って言ったら、〈じゃあちょうどいいじゃないですか〉って」

PEラインの一般的な強みとして、直線強度、そして伸びの少なさから来る感度の良さがある。しかし状況によってはそうしたメリットを享受できないことがあると本波は言う。

「PEラインはまっすぐ綱引きをしたら強いんだけど、カーブや熱には弱いんです。それに糸を縒ってあるから、北海道や東北の冬だと水を吸ったラインが凍ってしまう。それに寒いところでリーダーを組むのは手がかじかんで面倒くさいんですよ。それだったらワンランク太くたってナイロンラインを選んだ方がいい。太いからと言ってヒット率が落ちるかと言ったら落ちない。それに最近の〈VARIVAS〉の〈ゲーム〉とかさ、強度が同じでも細くなってるでしょ。今のナイロンラインは進化して、以前より雲泥の差で強くなっています。
PEラインが発売された当時、島牧で海アメマスをやっている人たちが一斉にPEラインに移行したんだけど、リールのラインローラーやロッドのガイドが吹っ飛ぶのを見ましたよ。当時のタックルに対してPEラインが強すぎたんです。今はタックルもPEに対応するようになってるんですけどね。
PEラインが100%だめだって言うわけじゃないんですよ。PEにはPEの良さがあるし。ナイロンにはナイロンの良さがある。一長一短で、どっちを使うかっていうのは好みとか得意技で、使ってみて失敗したらそのとき考えればいいんですよ」

そんな本波のナイロンラインの使用法はこの上なくシンプルだ。

「リーダーを組むこともない。どれだけうまくやっても最後はそこが弱点になるから。夜明け前から暮れるまでやったら、次の日には新しいラインを巻く。根掛かりしたときなんかラインを持って回収するんですけど、そんなことが頻繁にあればすぐ交換します。アタリも根掛かりもなくて、キャスティングのテンション負荷だけだったら2日か 3日は使えるかな。「ナイロンラインだって決して安いものじゃない」って言われることもあるけど、「それ言ったら魚は釣れないぞ、どっちがいいんだ」って言い返してますよ(笑)。ナイロンラインはスプールに巻いた時点で劣化が始まって、スプールの中の方で潰れるんですよ。それにスピニングリールにナイロンラインを巻いてスプーンやスピナーなんかずっと投げてるとだんだん縒れてきて、キンクになりますよね。寒い時期にはガイドに残った水が凍って、氷の中をラインが通りますから劣化が激しい。そういうときはもったいないと思わずに、ラインを交換した方がいいですよ」

▲本波の作業部屋にはオールドタックルをモチーフにしたポスターが飾られている

ラインについてはとにかく最新の技術で生み出された製品を惜しむことなく投入するスタンスの本波だが、古い道具に対する愛着は人一倍強く、かつて雑誌の企画でオールドタックルを使った釣行取材記事に登場したこともある。ワレットの中に入っている古いスプーンを使う機会は今でもあるが、リールやロッドなどのタックルはコレクションとして部屋の片隅に保管されている。意外なことに、かつてはベイトタックルを使った釣りもしていたという。

「ベイトはフェンウィック、アブのディプロマットのロッド。それに開高さんも使っていたボルト締めの 7000番のアンバサダー。ラインは〈VARIVAS〉の〈スーパーバス プロタイプ パワー〉っていうグリーンのナイロン30lb。それでサラマンダーとか、バッハスペシャル30グラムとか、サラー40グラムなんかを投げてましたよ。まわりで釣れ始めると焦ってきてね。焦れば焦るほどバックラッシュするんだよ(笑)。だから今ベイトを使わないのは効率の問題。スピニングの方が手返しがいい。でもそのうち8フィート2インチのベイトロッドにアンバサダー5000CDLなんか付けて、サクラ釣りたいな。結局100%の道具、完璧に近いタックルでやったらそれはフェアとは言えないからね。魚にハンディキャップを与えて、当時の趣きのあるタックルでやるのもひとつの手だよね。」

北海道・東北の文化史・自然史への執着

さて、本波幸一がアイヌ文化をはじめとする北海道・東北の文化史・自然史に造詣が深いことは知られている。当時の神話や物語も含め、膨大な資料や文献を読み込むという作業は、一見すると釣果に直結しないばかりか、そこからなにがしかの釣りのパターンを導き出すことだって容易ではないだろう。一見非効率にも思われる本波のそうした関心の持ち方や時間の使い方。そこに賭けられているものは何なのか。それは今回のインタビューでもっとも聞きたかったことのひとつだった。

「更科源蔵(1904.1985/詩人、アイヌ文化研究家)なんかの残した文献を読むと、アイヌにはイトウに関する伝説や言い伝えがたくさん残されています。昔の言い伝えっていうのは本物なんですよ。嘘偽りではなく、そうした出来事があったということです。現代人はそんな話は嘘だって勝手に思っているんだけど。
アイヌ語でイトウのことを〈チライ〉〈オビラメ〉と言うんだけど、〈チライベツ(知来別)〉とかっていう北海道の地名はイトウと関わりがあるんです。それから〈チライアパッポ〉というのはフクジュソウのことです。フクジュソウの花が咲く頃にイトウが産卵のために川に上ってくるということです」

現代では伝説や言い伝えはおとぎ話のように架空の出来事をつづったものと思われがちだ。しかし本波は、それらを人々がたしかに見たもの、聞いたことの本物の記録として読み続けてきた。

「松浦武四郎(1818〜1888/幕末から明治にかけての探検家。〈北海道〉の名付け親)という人がいて、蝦夷に何度も渡ってたくさん日誌を書いているんだよね。〈手塩日誌〉〈十勝日誌〉〈釧路(くすり)日誌〉〈北蝦夷日誌〉。いろんな古本屋からそれらを掻き集めたんですけど、武四郎はアイヌをガイドにして河川の生き物を記録しているんです。ウグイからシシャモから、何がどこにいたってことが事細かに書いてあって、その中に〈チライ〉とか〈オビラメ〉っていう文字を探すんです。〈アイヌの家族が晩のおかずに六尺ばかりのチライを獲ってきてそれを食べた〉とかってさ。六尺と言ったら180cmですよ。そういうのをチェックするんです。
アイヌ民族は海を越えて交易をしていたんですよね。ロシアや中国なんかに鮭の干物や昆布を持っていって、物々交換をしていたんですよ。だからアイヌの酋長が着ていた〈蝦夷錦〉っていうのは中国の官服ですよ。アイヌにはあんな竜の模様はないもんね。それで江戸幕府はアイヌ民族がロシアや中国と仲がいいことを警戒して、松前藩に弾圧させたんです。そんな時代に松浦武四郎は幕府の命を受けて蝦夷の調査をしたんだけど、あまりに正直に日誌を書いたもんだから、都合が悪くなって世の中に出すなと言うことになったんですよ。だから日誌が出たのはずっと後になってからのことなんですよね。
もともと『チライの里.道東にふる里のつりあり』(八巻正宣/総北海、1976)という本を読んでいて、その本の参考文献が充実していたんです。その中で紹介されていた松浦武四郎の名前が気になったんです。時代もちがうから内容を100%は理解できないんだけど、今の言葉に翻訳されていて流れは理解できるんだよね。当時の手描きのスケッチみたいな地図も載っていてさ。今は雑誌にイトウが釣れたという情報が載ったらみんなでそこにごっそり押しかけるじゃないですか。そういうパターンしかない。でも松浦武四郎は天塩川も石狩川も上流まで何百キロという流程を全部船で上っていったんですよ。それで、そこに生息する魚種とかさ、湖畔林に見られる谷地ハンノキとか、湿地帯に生えるドロヤナギとか、そういうものを克明に記録した。植物にしろ魚にしろ、当時の日誌を見ればその川に——今は三面張りになっているような川でも——何がいたかわかるでしょう。そこに〈イトウがいた〉って書いてあれば、今でもいるんじゃないかって思うんです。
あとは『アイヌ神謡集』(岩波書店、1978)を出した知里幸恵(1903.1922/詩人、アイヌ語)も読みました。女の人で、頭がよかったんだよね。言語学者の金田一京助のところでずっと勉強して、19歳の若さで亡くなってしまったんだけど。「銀の滴降る降るまわりに」が有名だな。まったく釣りとは関係ないんだけども、温故知新なんですよね」

釣れないとき

▲愛用のキャップとフィッシングベスト

当然のことではあるが〈釣れない釣り〉がテレビ番組や雑誌の記事になることはあまりないので、メディアには〈釣れた話〉ばかり溢れかえり、私たちはエキスパートたちの〈釣れなかった話〉を聞く機会はあまりない。しかし、本波の場合は少しちがうのではないか。本波が大物を釣るエキスパートであることはまちがいないが、彼が一目置かれる存在なのは、むしろ釣れない時間をどう過ごしているかということが、ある種の畏れとともに語られる点にある。私たちは本波の〈釣れない時間〉をよく知っているような気がする。同じ川の同じ場所に釣れるまで1週間立ち続けた、といった本波を語るエピソードは枚挙に暇がない。

「もちろん釣れないことはあります。一日竿を振ってまったく反応がないということはあります。会社勤めのときは有給休暇を使って休みの日でも給料が出るから集中して釣りができました。今は釣りに行く時間は作れるんだけど、釣りが終わった後の製作作業のことも考えながらやらないといけない。でも1日だけしか時間が取れないのなら、他人には釣れてなくてもとにかく自分は釣るしかない。何百人にひとりしか釣れないような状況で、そのひとりに自分が入るにはどうすればいいか。いろんな引き出しを持って、パターンを見極めることです。のんべんだらりと同じようにやっていても釣れないですから。
今の時期だったらサクラマスがどのエリアで掛かっているか、特に解禁直後はそれを確認しますよね。そうすれば魚が溜まっているところは自ずとわかる。ただ、〈上でも釣れてる、下でも釣れてる、ここだけ釣れない〉ってことはありえないから、釣れたと聞いて上流に行ったり下流に行ったりということはしない。魚の尻を追っかけて歩いていてもだめだよね」

釣り人ならば誰もが知りたいのは、まさにこの点ではないだろうか。その場で粘るのか、それとも見切りを付けるのかという判断。釣れるか釣れないかが、決して運ではなく、釣り人の積極的な意思によって分け隔てられるとするならば。本波はどのようにその分岐点を見出しているのだろうか。

「立っているところに魚がいると信じる信念。よそはよそ。いくら良くてもね。あとは風の流れ。頬を撫でていく風があるんですよ。上流側からチョロっとくるのが一番いい。下流から吹くのはだめだね。それは自分なりの感覚です。その感覚を言葉で伝えようとしても、相手がその感覚に陥らないとね。いくら説明してもだめなんですよ」

災害と向き合う、自然と向き合う

8年前の東日本大震災は三陸の海岸沿いの町に甚大な被害をもたらした。歴史的にも巨大津波が幾度となく押し寄せたこの場所に、本波幸一は居を構え、今も生活している。岩手に生まれ育った釣り人として、本波幸一が災害、そしてこの地の自然をどう捉えているのかを最後に聞いてみた。

「3.11の最初の大きな揺れが来たときは市内のホームセンターにいて、すぐに〈津波が来る〉って思ったんです。駐車場に出てみたら、トランポリンに乗っているみたいに地面がフワフワしていた。それから自宅まですぐに帰ってきましたよ。津波のときは逃げるが勝ちですから。津波って何十年も溜まったヘドロを攪拌して押し上げるから俗に〈黒い波〉って言うけど、アマゾンの〈ポロロッカ〉みたいにサーフィンをするような波じゃないからね。グーンと海坊主みたいに膨張するんですよ。このあたりは南から来た津波が港の北にある牛島にぶつかって、南側の『あまちゃん』の舞台になった方(小袖地区)にもぶつかって、それから久慈川の河口から上がってきた津波が本流と支流の長内川の二手に分かれたんですよ。そこで津波の威力が分散したから、あと10cmで堤防を超えるっていうところで済んだんです」

間一髪で難を逃れた本波だったが、それは必ずしも運が良かったというだけではないだろう。本波の暮らす地域では過去に何度も津波災害を経験し、海辺には家を建てないという。

「このあたりでは母屋を高いところに建てて、浜辺にはいざというときには流されてもいいような作業小屋しかないんですよ。みんな漁をするときにはわざわざトラックに道具を積んで降りていくんです。
このあいだ国道45号線の復興道路がどこまで開通したか見に行ってきたんですけど、宮古の方では道路の海側が全部高い壁になっていましたよ。道路を走ってて海が見えないんですよ。あれじゃ津波が来てもわからないし、壁を高くするほど水は増幅して上がってきます。高くすればいいって問題じゃないと思います。
ここ久慈にも堤防を作ってるんですよ。建設会社の人たちが何メートルの堤防を作れば大丈夫だって言うんだけど。釜石の〈海の要塞〉って言われた防波堤だって震災のときにものの見事に壊されたでしょ。日本列島には何十年かに一回必ず地震があって津波が来るという前提で生活すればいいと思うんです。でっかい壁を作って自然の力を遮蔽することなんて人間の力では到底叶わないことですよ。コンクリートで抑えるというのは間違った考えだと思います」

柔よく剛を制するようなまなざしは、災害に限らず広く自然に向けられている。北海道や東北で釣りをしながら、自然と共に生きてきた本波ならではの自然観だ。

「川だって護岸を三面張りにすれば水はけが良くなって水害が減らせるって言いますけど、実際はそうじゃないからね。まず生き物がいなくなる。川床の虫がいなくなって、それを補食する魚がいなくなる。魚類がいなくなるってことはそれを捕食する鳥類がいなくなる。すべてが連鎖するんですよね。たとえば北海道の湿原の川はクネクネ曲がっています。曲がることで流れに干渉するし、河畔林があることで水の流れが緩やかになるんですよね。そしてそこに川の生き物は生きているんですよ。カーブがなきゃイトウも生きていけないんですよ。昔、下北半島の大畑川にイトウがいた時代は、大畑川はクネクネしてたんですよね。今でも〈糸魚(イトウ)淵〉って地名が残っていますけどね。その大畑川は河川改修によって直線化されて、イトウもいなくなり、今では川の流れのまわりに(河川が蛇行した名残の)三日月湖がいっぱいできていますよ。人間の勝手で自然に逆らったことをやるべきではないと思います。地球上で知的生命体って人間以外にいないんだけど、他の動物は言葉を持たないから表現できなくて黙っているしかない。アメリカなんかで河川改修しようとすると、人間が動物の代理で裁判起こしたりするでしょう。ああいうことをそろそろ日本でもやるべきなんだと思いますね」

(文中敬称略)

〜後編終わり〜

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