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TrueVoice Vol.05

  • インタビュー本波幸一[前編]それからイトウの旅がはじまった

    2019.4.26|岩手県久慈市にて

  • ほんなみ・こういち
    1959 年、岩手県久慈市出身。本流大物釣士。バリバスフィールドテスター。
    漁師の父を持ち、幼少時から近所の川や海で釣りに没頭する。サラリーマン時代にルアーフィッシングに出会い、以来長年に渡ってイトウ、アメマス、サクラマスを中心とする大物トラウトとの出会いを求め、国内外の河川に遠征を続ける。

▲本波邸から前庭を望む。白く霞んだ向こう側には海が広がっている

岩手県・北三陸の海沿いの小高い丘の上に、本波幸一邸はある。
周囲を松林に囲まれたログハウスの前には綺麗に刈り込まれた芝生が広がる。

「晴れると海がばっちり見えるんだけどね」

窓の外を眺めながら本波が教えてくれた。
あいにくその日は午後から時季外れの雪が降り始め、見通しは良くなかった。
青々とした芝生が次第に白い雪に覆われていくのは不思議な光景だった。
インタビュー中、その芝生の真ん中に大きなキジが一羽舞い降りてきた。

「雄だね。おととしね、真っ白いキジがここに来たんですよ。親鳥に連れられたヒナの中に、白いのがいたんですよ。そのまま大人になっても真っ白。ほっぺのところだけ真っ赤でね。あれどこに行ったのかな」

インタビューで印象的だったのは、釣り上げた記念碑的な魚のサイズや相貌はもちろんのこと、幼少期の周囲の環境からこれまでに出会った人物や読んだ本、会社員時代に担当した業務内容に及ぶまで、ありとあらゆる場面を詳細に描写するよどみのない彼の口ぶりだった。本波が釣行の際に事細かにメモを付けることは知られているが、そんなメモなんかなくとも彼の頭の中には過去に起こった出来事が整然とストックされていて、それらを参照していつでも状況に応じた的確な判断を引き出すことができるのではないかと思った。
本波幸一は、この地に生まれ育ち、各地でのサラリーマン生活を経て、現在は再びこの場所でロッドやルアーなどの釣り道具を製作して生計を立てている。
年間を通じて国内外の河川へ大物を求めて遠征し、雑誌に寄稿された釣行記やエッセイに滲む彼の孤高のスタイルには熱狂的なファンも多い。
5時間を超えるインタビューの模様を前・後編の2回に渡って掲載する。

故郷・久慈で釣りと出会う

東京から新幹線と電車とバスを乗り継ぎ、JR久慈駅からレンタカーを走らせ、眼下に海を望んで峠を越える。本波の家に到着すると、ログハウスの煙突からは煙が上がっていた。出迎えてくれた本波に招き入れられると、室内はぽかぽかと暖かかった。

「だいたい6月頭までストーブを焚くんですよ。それから1ヶ月くらいは使わないけど、8月のお盆を過ぎると海から吹き寄せるヤマセの影響で気温が10度くらいまで下がります。このあたりは海に向かって一番突き出てるでしょ。アメリカに近い方が寒いんですよ」

北上山地を挟んで内陸部と沿岸部では気候が大きく異なる。冬のあいだ、三陸の海沿いではあまり雪は降らないが、そのかわり気温はマイナス15度くらいまで下がるという。そして東北の各地で桜の開花が聞かれる頃になると、南岸低気圧の北上に伴って、雨は海から吹き上げるような雪に変わる。

「真横から吹きつけるから、屋根があってもデッキがビチョビチョになる。海から舞い上がった潮水がここまで飛んでくるんです。家の窓に白いのが付いていて何かなと思ったら、しょっぱいんですよ」

そのデッキの向こう側に見える一本道を海に向かって下っていくと、小さなクリークのような川がある。そこが本波が釣りを覚えた場所だった。

「はじめは数えの5歳でしたね。近所の子供たちと4、5人で行ったんだよね。山道を歩いて1キロもないところに川があるんですよ。川幅2、3メートルのほんとにちっちゃい川。その川にお盆の頃になるとすごい数のアメマスが上がってくるんですよ。隣の家のおじさんがそこで魚を釣っていたんです。それで親父に仕掛け作ってもらって。1匹釣って、勇んで家に帰ったんです。それから釣りの人生が始まったんですよね」

〈本流大物釣士〉として知られる本波の釣りとの出会いが、今も彼が各地で追い続ける「アメマス」だった——知られた逸話ではあるが、出来すぎた物語のようにも聞こえる。だが、当時の本波が手にしたのはもちろんルアーロッドではない。

「昔は気の利いた釣り竿なんかありません。裏山から手ごろな木を切ってきて、そこに天蚕糸(テグス)——昔はラインなんて呼ばなかったですから——を結わえて、親父が漁で使ってたちっちゃいハリ付けて。エサはそのへんの堆肥の中にミミズがいくらでもいました。それで魚が掛かったんですよ。ちょうどミルク缶で作ったバケツに入るくらいの魚。あの引き込みがなんとも言えなかった。木の棒でもアタリが手元まできましたから」

釣り上げた魚は食卓に上がった。海に近い土地で、わざわざ川魚を捕る人はいなかったから、少年たちにとって川の魚は取り放題だった。やがて小学校に入ると、本波は海へ向かう。

「最初は竿がないから手釣り。干潮のときに磯に潮だまりができるでしょ。そこで手釣りをするとアイナメとかソイが釣れるんですよ。中学生になる頃には釣具店でバラ売りされていたリールシートを買って、それを竹竿に綿糸とビニールテープで留める。針金を手頃な太さの棒っきれに巻いてガイドを作って足を付けてね。隣の山から竹を盗んで、じいさまにとんでもなく怒られたけど(笑)。学校にも行かないでそんなことをやってましたね」

現在ロッドやルアーを制作して生計を立てる本波だが、その源流は彼が小学生の頃にまで遡るというわけだ。

「自然の竹だから曲がってるし、重いんだよね。でもそんなの子供には関係ない。それを下まで担いでいって、岩場に乗ってビュンって投げる。ラインは一番細くても20号でしたね。親父が漁で使ってた500m巻きとか1000m巻きとかいっぱいあんのさ。それでも釣れたからね。オモリは海からバナナみたいな形の細長い石を見つけてきて、普通にラインを巻くと滑って抜けるから八の字で巻いて、それからナイロンテープで留める。そんな仕掛けでガンガンきましたよ」

就職、そしてルアーフィッシングとの出会い

▲本波邸の玄関で陶製のイトウが来客を迎える

高校は久慈の水産高校に行き、卒業と同時に国鉄に入社。宮古駐在となり、その地の釣りクラブや釣り大会に顔を出すようになる。少しずつ本波の釣りの世界は広がっていく。

「宮古の釣具店に行ったとき、閉伊川で揚がったサクラマスの写真がいっぱい貼ってあったんだよね。その横に〈ブレットン、7g、銀赤〉って書いてあった」

ヨーロッパ生まれの伝統的な渓流用のスピナー。それは本波が〈ルアー〉を意識した最初の瞬間だったのかもしれない。

「バイクで北海道を一周したとき、稚内まで行くときに猿払川でイトウやってるところ——それがルアーなのかフライなのかわからないけど——を見たんですよ。そのあとに八戸に転勤になって、そこで同僚のひとりがルアーをやっていた。彼に誘われて、道具を全部買いそろえたんですよ。それから本格的にルアーを始めました」

最初に買ったのは渓流用グラスロッド。それに合わせてリールも買った。それ以前から北海道のイトウを特集したドキュメンタリー番組や、中学生の頃に欠かさず見ていた『釣りキチ三平』の根釧(こんせん)原野を舞台にしたイトウ釣りなど、大物トラウトに対する漠然としたイメージは持っていた。本波は少しずつルアーフィッシングに歩み寄っていく。

「サクラマスを釣るロッドがほしかったけど、あの頃1ドル360円ぐらいだったんだよね。フェンウィックのロッドが8万円か9万円。当時の国鉄の給料が7万8000円ですからロッドが1ヶ月の給料より高い。でもね、バックに国鉄がついていたから釣具店で月賦が組めたんですよ。もし踏み倒されたら会社に取り立てに行けばいいって(笑)」

影響を受けた本や書き手

そうして揃えたタックルを携えて、本波は次第に各地へ釣りに赴くようになる。とはいえ、当時はSNSはおろか、インターネットなどあるはずもなく、本波が遠征の際に参照したのは信頼できる書き手たちだった。

「青森や岩手の大河川から小河川まで釣り歩いて、それでも物足りなくて鍛治英介【註1】の『北海道の湖と渓流』(つり人社、1982年)を持って北海道に行きました。「○○橋下流の××××がポイント!」とかって書いてあったけど、何にも釣れませんでしたね、全然(笑)。当時釣り雑誌に記事を書いていたのは、開高健【註2】、常見忠【註3】、浜野安宏【註4】、田渕義雄【註5】、根深誠【註6】、村田久【註7】、虻川進一【註8】……。いろんな地方にクレイジーな人たちがいたね。でも釣りだけやってごはんを食べている人はほとんどいなかった。開高さんだって小説家ですからね。当時からプロとして釣りをしていたのは西山徹【註9】さんと白石勝彦【註10】さんくらいでしょう。白石さんは北海道の静内川の源流で70cmのイワナ——アメマスじゃなくてイワナ——を10年間追い続けて、それでもイワナは釣れなかったんだよね。北海道でそれぐらいのイワナを釣るのは至難の業です。『源流の釣り・大イワナの世界』(山と渓谷社、1985)や『渓流の釣り・大ヤマメの世界』(山と渓谷社、1985)に載っていたモノクロ写真の大きな鱒を持った姿は憧れでしたから、白石さんが歩いたところに行ってみましたよ。白石さんは餌釣りだったけど、うちらはルアーで釣ってやろうって」

【註1】 鍛治英介 1935?〜2017。元つり人社札幌分室室長。おもな著作に『Fishing guide 北海道の湖と渓流-道南・道央・道北・道東』(つり人社、1982)、『川と湖のカムイたち.北海道釣り行脚』(講談社、1986)、『カムイたちの後裔』(つり人社、1992)、『アマゾン・サハリン・嫩妓 (ノンジャン)釣り紀行』(北海道新聞社、1998)など。

【註2】 開高健 1930〜1989。作家。代表作に芥川賞受賞作の『裸の王様』(新潮社、1958)、アマゾン紀行を豊富な図版と共に紹介した『フィッシュ・オン』(新潮文庫、1974)、世界各地への釣り紀行を収録した『オーパ!』(集英社文庫、1981)など。

【註3】 常見忠 1930〜2011。元プロ野球選手。銀山湖やモンゴル遠征などで開高健の多くの釣行を支えた。著作に『ルアー・フィッシング』(平凡社、1981)、『忠さんのスプーン人生』(地球丸、2012)など。

【註4】 浜野安宏 1941〜。ファッション、建築、デザイン、映像、教育など幅広い分野で活躍するライフスタイルプロデューサー。川釣りを愛好し、アウトドアブランド・フォックスファイヤーのコンセプトなども担当している。著作に『釣り人の詩』(講談社、1981)、『川はいきているか』(世界文化社、1985)など。

【註5】 田渕義雄 1944〜。作家、エコロジスト。自給自足的な田園生活を実践し、八ヶ岳にほど近い山里に居を構えて作家活動をしている。著作に『川からの手紙』(小学館文庫、1997)、『森からの伝言』(ネコ・パブリッシング、2017)など。翻訳書に『フライフィッシング教書 初心者から上級者までの戦略と詐術のために』(晶文社、1979)がある。

【註6】 根深誠 1947〜。作家、登山家。ヒマラヤの未踏峰6座への初登頂をはじめ、アラスカやチベットなど各地で様々な捜索、調査活動を行っている。著作に『ヒマラヤを釣る』(中公文庫、1999)、『遥かなるチベット』(中公文庫、1999)など。

【註7】 村田久 1942〜。作家、エッセイスト。釣りをはじめ自然全般への造詣が深く、各地での講演活動も行う。著作に『イーハトーブ釣り倶楽部』(小学館、2000)、『ヤマケイ文庫 新編 底なし淵』(山と渓谷社、2017)など。

【註8】 虻川進一 1945〜。90年代に多くの釣り雑誌に寄稿。

【註9】 西山徹 1948〜2001。ルアーフィッシング、フライフィッシングの草分け的存在。大学で魚類学を学んだ後、釣りの世界に入り、メディアを通じて釣りのスタイルを広めた。

【註10】 白石勝彦 在来イワナの生態調査と保護をライフワークとし、日本はもとよりヨーロッパからロシア、北アメリカまで絶滅に瀕したイワナを追って極地方を広く歩いている。著作に『渓流釣り大全.フィーダーレーン釣法で挑む大ヤマメ、大イワナの世界』(山と渓谷社、1995)、『大イワナの滝壺』(山と渓谷社、2015)など。

メーターオーバーを釣るために休職

▲初のメーターオーバー(102cm/12kg)のイトウの剥製。群馬の工房で作ってもらった逸品

そうして先人たちの書く記事や本を読みあさり、本波にとってその後の人生の転機となる出来事が訪れる。釣りのために会社を休職したのだ。

「33歳のとき、どうしてもイトウのメーターサイズが釣りたくて、会社を8ヶ月休んで放浪の旅に出た。3月は海アメマス、海サクラマスのメッカ、北海道の島牧。4月に1回こっちに戻ってから、すぐに猿払。そうしたら海が全面結氷しているんですよ。流氷がオホーツクの海岸にびっしり押し寄せていて、そこら中に氷山がいっぱいある。砂浜に打ち上げられていたり、漁港の中に浮かんでいたり。それが風で沖に流されて一晩でひとつもなくなったんです。水平線にプカプカ浮いてるんですよね。氷が溶ける寸前がイトウのでかいのが釣れるって聞いていたんで、1週間くらい待ちましたよ。でも、そのときは釣れなかった」

満を持して向かった4月の猿払川ではメーターオーバーのイトウを上げることは叶わなかったが、そこから移動した先のダム湖でイトウとの出会いはあっけなく訪れた。

「富良野の金山ダムで釣った40cmのイトウが最初のイトウでした。ウグイかなと思ったら斑点がある、アブラビレもある、これがイトウなんだなって。
金山ダムでは6月後半から7月にかけてウグイが産卵のために岸に瀬付くんです。だからまずはウグイの群れを探す。水面が帯状に真っ黒くなってるから肉眼でもよく見えるんですよ。そうすると、そこにイトウがドーンと来るのね。それも一匹じゃなくてたくさんのイトウがウグイを追い込んで来るんですよ。1日掛けてリアス式の湖岸をずっと歩きました。群れを見つけたらその場所をチェックしておく。またぐるっと回って、やっぱりここしかないと決めたら、そこで朝一番から粘る。そうやって釣ったメーターが(自邸に飾ってある剥製を指して)これですよ。102cmの12kg。
みんな釣りたいと思うけどなかなか釣れない。もちろんタックルの問題もあるんだけど、何よりも仕事の都合がある。だからいい時期に行けなかったら休みを取って張り付くしかないでしょ。そのための8ヶ月だった」

ラインは5号で、ルアーはウグイのサイズに合わせた9cmのジョイントミノー。イトウは岸に寄ってくるので遠投は必要ない。そうして94cm/7kg、 80cm/6kgを立て続けに釣り上げたあと、翌朝6時過ぎに釣り上げたのがメーターオーバーのイトウだった。その魚は現在も剥製として本波の自邸に鎮座する。鱒というよりは鮫に近いような顔つき、巨大な尾鰭、そしてどれだけのウグイを飲み込んだのか、迫力のあるボリュームの胴体が、当時を思い起こさせるように躍動しながら黄金色に輝いている。

「それからイトウの旅が始まったわけね。イトウは幻だって言うんだけど、60くらいまでのサイズなら掛かるんですよ。でもみんなが狙っているのはメーターオーバー。そのサイズが幻なんですよね」

休職した8ヶ月間で、本波はイトウのメーターオーバーを筆頭に、北海道や東北の数々のトラウトを釣り上げ、それからいったん会社に復帰する。

「8ヶ月間好き放題してから復職したって悶々としてるからね。その後も6月と10月には北海道に行くようになりました。仕事を上がったらすぐにフェリーで八戸から苫小牧まで。帰りの日の夕マズメまでやって、ヘロヘロになって苫小牧まで戻る。それからフェリーに乗ってる時間が9時間だから疲れを取るのにはちょうどいいんですよ。朝7時半に八戸に着いたらそのまま会社に向かって8時半から勤務。ギリギリ遅刻しない(笑)。いい時期には毎週のように北海道に行っていたから、会社の有休もすぐなくなってしまいましたけど、そんな感じでやっていましたね」

仕事、釣り、そして執筆

▲「釣り東北」昭和62年5.6月号(No.14)誌面

8ヶ月間の休職中には本波のもうひとつの顔、書き手としての本波幸一が誕生する。雑誌「釣り東北」に寄せた「北三陸 久慈川」とシンプルに題された文章が本波の書き手としてのデビューだった。そこにはこう書いてある。

私は内陸の川よりも海岸に面した河川を好む。というのは、海から遡上してくるサクラマスや、アメマスのデカイ奴が釣れるからである。
——「釣り東北」昭和62年5.6月号(No.14)より

「久慈川のサクラマスの記事が最初。それからすぐに雑誌「自然倶楽部」(廣済堂、2007年休刊後、ウェブ媒体でも展開されたが現在は閉鎖)から取材したいって電話があって。

「でも北海道行かなきゃなんないんですよ」
「いつから行くんですか?」
「今日!」
「さっき戻ってきたんじゃないんですか?」
「さっき戻って今から行くんだ!」

そんなやりとりをした覚えがありますね。それから打ち合わせの日取りなんかを決めて、久慈川のヤマメをやったんだよね。その後も「自然倶楽部」ではいくつか取材をして、途中から編集者がルアー専門誌を作るから協力してくれってことで、2人でタッグマッチでいろんなところへ取材に出かけたりしました。それが「ルアーフリーク」(廣済堂、1998年休刊)です。「ルアーフリーク」が休刊して「Troutist」(廣済堂、2008年休刊)が編集を引き継いで、それから今は版元が変わって「鱒の森」(つり人社)がその流れを汲んでいます。「Gijie」(芸文社)でもよく取材をしますね」

国鉄では宮古の工務部で保線、軌道検査の部署を経て、八戸に異動してからは事務で列車運行のダイヤ書き(当時は手書きで、何重ものチェックが必要だった)をしていた。そうした日々の業務をこなしながら休日を釣りに捧げ、定期的に媒体に文章も発表するような生活が始まる。その頃から釣具メーカーのテスターやタックル開発にも携わるようになる。次第に各地には読者やファンなど、本波に期待をかける人々が増えていったことは想像に難くない。しかし本人は環境の変化は大きくなかったとこともなげに言う。

「サラリーマンをやりながら釣りをして文章を書いてたってだけで、だからどうっていうのはなかったですね」

その後の活躍は周知の通りだ。書店に並ぶトラウトルアーの専門誌のカバーには本波の名前が踊る。MBS放送の「情熱大陸」では密着取材され、 “幻の魚”を狙う孤高のスタイルが一般にも大きな話題を呼んだ。さて、前編では幼少期の魚との出会いから次第に釣りの幅を広げていくまでの半生を振り返ってもらい、ようやく私たちの知る本波幸一の現在にたどり着いた。後編では一転して道具や自然・文化に対する本波の関心について語ってもらうことになる。本波の釣りのスタイルを形成する貴重な話をたくさん聞くことができたので、ぜひ期待していただきたい。

(文中敬称略)

〜前編終わり、後編に続く

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